2011年11月26日土曜日

広層植物/高層植物



「広層植物/高層植物」(1976)の解説案

都市に林立するビル群を、植物が本能的に縦へ横へと成長していく姿に例えた作品である。都市においては、ビル群は植物の様に自然的に成長し、植物は計画された中で人工的に成長していると作者は語っている。環境問題や食料問題の観点から、今日では建物の壁面などを活用した垂直緑化・農場が行われ始めているが、まさにここで描かれていることが地で起こっている。今日のこの状況は、人間と植物の共生と言うべきか、または、人間の植物への服従と言うべきか、あるいは、人間が植物に服従している姿なのか。今、我々は植物と腹を割って対話すべきなのではないだろうか。

2 件のコメント:

  1. 吉村です。この作品のように、メッセージ性の強い作品の解説では、メッセージの取り違えには注意を要すると思います。解説文の第一文に「植物が本能的に縦へ横へと成長していく姿」とありますが、作者自身が作品中に言葉で明示的に表現しているように、「本能的に」は縦への成長に対してのみ当てはまるとことです。その事実から、縦に伸びた上部にだけ、植物らしい茎の広がりが描かれていることによるメッセージを読み取るべきかもしれません。
    そう考えると、「絵画に顕現しているもの」に基づく解説として、縦の上部での植物らしい広がりを指摘することはおもしろいと思います。いかがでしょうか。
    ここで取り上げてくれた作品がその典型と言えると思いますが、イラストレーター真鍋博が、メッセージ性を作品制作の核にしていたことがよくわかります。
    もう一つ、タイトルにある「高層」からは、ビルなどの堅固な建物を連想します。その着想を作品に生かすには、緑で表現されていること(作品に顕現していること)ことはどうしても必要で、他の色では植物を表現できません。また、「高層」からの言葉遊び・地口としての「広層」という造語を用いることも真鍋博の特長で、デュシャンを思い起こさせるものです。ここでも、「広層」(作品に顕現していること)から出発して、それがデュシャンを思い起こさせるという、背景情報につながる解説が可能かと思います。

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  2. 吉村先生、ご指摘いただき、ありがとうございます。そうですね、もう一度よく考えてみたらメッセージのとり違いに気がつきました。危険でした。もう一度リトライしてみます。あと、少し話がそれてしまいますが、ここでは植物の本能と欲望の方向性を建築のように描かれていますが、実際の建築でも同じことが言える様な気がしてきました。(例えば資本主義国家と社会主義国家の建築の形態の違いなど)
    これは個人的に調べてみようと思います。

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